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初めての論文は、XI型コラーゲン※1の遺伝子クローニング、それとその遺伝子に選択的スプライシング※2があるというもの※3です。ゲノムDNAライブラリーをスクリーニングして、XI型コラーゲンが入ったファージクローンをピックアップします。入っている配列は1万塩基対ぐらいの長さでしたので、それをサブクローニングしてひたすらシークエンスしました。シークエンスのゲルを作って、ひたすら電気泳動して。当時は1回に良くても300ベースぐらいしか読めなかったです。プライマーがよくないときには、いちいちプラスミドに断片をクローニングしなおしてシークエンスするという事を繰り返してました。 XI型コラーゲンα2鎖遺伝子(Col11a2)のクローニングとプロモーター・エンハンサーの同定。XI型コラーゲン遺伝子が軟骨で発現するために必要な配列(プロモーター・エンハンサー)にレポーター遺伝子lacZをつないだトランスジェニックマウスでは、四肢と肋骨の軟骨原基に特異的にlacZが発現していた。 ただ、実験してる途中では、そのシークエンスは世界の誰も知らないシークエンスなので、これは世界で自分が一番初めてやってる事だと、うきうきしてました。ただ、世界のどこかで同じ事をやってる人がいるかもしれないので、早く仕上げて論文にしないといけないということを言われ、プレッシャーも感じました。実際、Journal of Biological Chemistry(JBC)※4に論文を出せて、半年後に同じシークエンスの論文がアメリカの大御所のラボから同じJBCに出てきました。やっぱり木村先生の言われることは正しいなと。自分での最初の成功体験です。 ※1 29種類程度知られているヒトのコラーゲンのうち11番目。II型、IX型とともに軟骨細胞外マトリックスのコラーゲン細繊維を形成する。 ※2 DNAからの転写過程において、1つの遺伝子から複数のメッセンジャーRNAが生成される。 ※3 Differential Expression of an Acidic Domain in the Amino-terminal Propeptide of Mouse Pro-α2(XI) Collagen by Complex Alternative Splicing ※4 生化学、分子生物学のコアジャーナルの一つ。 アメリカの恩師の「なんか起こるで」 なぜか全然マウスが生まれなくて 大学院に入ってすぐ思ったのは、留学したいと。海外に住んでみたかったのです。せいぜい、2〜3年先のことしか考えなかったですね。アメリカに行きたかったのでNIH(米国国立衛生研究所)に留学しました。そこでボスだったのが山田吉彦先生※でした。山田先生はコラーゲンのクローニングに初めて成功された先生です。結合組織の国際学会でお会いしていました。学会で講演されているのを拝聴して、木村先生から山田先生のところに行ったらどうやと言われて。山田先生は分子生物学のエキスパートで、基礎研究のアプローチを教えていただきました。 大学院は整形外科で臨床の研究室だったのですが、アメリカは基礎の研究室だったので、二重に違うというか。まあ、やっぱり日本はちょっと上下関係が厳しいところがあります。臨床の研究室は、特に上下関係があるみたいな。でも、アメリカは全くそういうのがないですから。あとアメリカは、実験のベンチスペースにしても、広いですよね。ただ、実験のセットアップがなかなか上手くいかなくて、行ってしばらくデータが出なかったです。1年くらいしたらデータが出るようになってきた感じですかね。 トランスジェニックマウスを作る実験で、顕微鏡を見てマニピュレーターで受精卵の核に針を刺して、DNA溶液を入れ、その受精卵を妊娠したマウスの卵管に戻して、遺伝子組み換えのマウスを作るという実験を。大学院生の時にもやっていたんですけど、アメリカではなぜか全然マウスが生まれなくて。1年ぐらい経ってやっと生まれました。いろいろマウスのラインを変えたりしたのが一番良かったですかね。アメリカの方がお金がかかってて良い機械なんですよ。日本の方が、ちょっと安いDNA溶液のインジェクターで(あ、アメリカでもインジェクターは、日本製で同じやつを使わせてもらったんですけど)。あと顕微鏡の台座です。日本は、普通の机でしたけどアメリカはちゃんとインシュレーターの付いた叩いても振動が伝わらないやつとか。アメリカの方が設備は良かったですけど、場所が変わるとできなかったです。 ※ 1966年に大阪大学理学部を卒業。1971年に同大博士後期課程を修了。学位論文は「RNAファージMS2の生理機能に対する紫外線効果」。1972年に渡米。ピッツバーグ大学でT7ファージやMS2ファージの翻訳制御を研究。その後、NIHへ移り、のBenoit de Crombruggheの研究室でコラーゲン遺伝子の研究を開始。1983年に独立して研究室を主催。 結果が出ないときに アメリカでは転写制御の研究をやってました。プロモーターに転写因子がくっついて転写を制御してるんですけど、in vitroではプロモーターと転写因子を培養細胞の中に導入して実験してました。その実験とかをやって、うまく行かないというか結果が出ないときに山田先生に相談したら「そらDNAにくっついてたらなんか起こるで」って。大阪大学を出ておられるので、関西弁なんですよ。「なんか起こるで」というのは、根拠があるわけじゃないですけどすごく説得力があるように感じたというのを覚えてます。山田先生の深い経験でそう言っておられるのだろうと思って、それならもうちょっと実験を続けてやろうと思いました。それで気持ちを切り替え、何か起こっているはずだと思って、実験していたのを覚えてます。そうしたら本当にそんな結果になってきて、すごく嬉しかったです。 (ボスの山田先生が日本人なので)ポスドクも日本の方が多くて、そういう方々と日本に帰ってきてからもつながりがあったのが良かったです。同窓生が活躍されていたら刺激になりますし、負けたくない、頑張ろうと思います。そうやって日本に帰ってきてからも頑張ってたら、山田先生は喜んでくれはりますし。 独立准教授制度ができて、研究室を持てた 研究に専念したら、妥協しなくていいんだ 留学から帰って、また整形外科に戻ってきました。戻ってきたときは、教授が越智隆弘先生で、その後、吉川秀樹先生に代わられました。大学院生を付けてくださって、チームを作らせてもらいました。整形外科の助教になったので、当然、臨床をしないといけないんですよ。だいたい週2回ぐらい外来があって、週1回は手術です。病棟をみる時間や当直もあります。それ以外は自由なので、その自由な時に大学院生と一緒に実験をしました。この間に、3年半ほどの間、大阪警察病院に出てますが、そこでは、完全に臨床のみでした。主に膝関節疾患や外傷の診療・手術を行いました。 警察病院から大学に戻り、しばらくした頃に独立准教授制度というのができて、吉川先生に応募したらどうやと言われ、運よく採用されました。大学院生と一緒に研究室を持てたという感じです。独立准教授1名、助教1名、技術員2名、そして大学院生。独立准教授のときは仲野徹先生※に大変お世話になりました。仲野先生が独立准教授の制度をセットアップをされたので。独立准教授というのは独立するトレーニングの場で、研究室運営の練習みたいなんです。そういうことを学んで研究に専念するようになりました。やっぱり臨床をやめて、研究だけになったら時間的にだいぶ余裕がでました。研究に専念してからの研究のレベルと臨床と研究の両方やってた時の研究レベルがちょっと自分の中で違うんだと実感しました。研究に専念したら、研究費の心配する以外は妥協しなくていいんだと。 ※ 1981年に大阪大学医学部を卒業。京都大学医学部講師などを経て1995年に大阪大学微生物病研究所の教授。2004〜2022年、大阪大学大学院医学系研究科および生命機能研究科の教授として病理学およびエピジェネティクスをリード。2014〜2016年は研究科長として生命機能研究科を支えられた。「大阪大学生命科学研究独立アプレンティスプログラム」を立ち上げるなど、研究者の育成にも尽力された。 今回は、妻木教授が大学院生の頃から、留学を経て独立准教授になるまで。臨床と研究がかけ離れていた頃、どのように(臨床の道を逸れて?)サイエンスを続けてこられたか、お話いただきました。次回は、iPS細胞以降、両者が近づいてきた現在そして将来について語っていただきます。 (上野・木藤) 妻木範行教授の「逸れる道、続ける道」後編 PAGETOP お問い合わせ窓口はこちら CONTACT 吹田キャンパスにお越しの方 ACCESS 研究情報などを更新中! 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